45歳で雇われ脱却しました

2024年、45歳で雇われの身より足を洗いました

ブログタイトル変更しました

 

掲題の通りですが、変更いたしました。

 

近頃なぜだかわかりませんが、そこら中でFIREファイアーふぁいあー・・・妙な耳目を集めていますよね、FIREとかセミリタイアという言葉が。

 

これは私の気分的なものなのですけど、これらの言葉の露出が多くなってくると自分のブログタイトルですとか記事の中で「セミリタイア」とか「アーリーリタイア」とか使うのが気恥ずかしいような、妙な気分になってきました。

 

何と言うんですかねぇ、「あっ、コイツも最近流行のカネの亡者的セミリタイアFIRE推し陳腐なヤツ!」みたいに見られてるような気恥しさというかむず痒さというか…。いや誰もそんなこと思っていないんでしょうが…。そもそも誰も見てないし。

 

別に匿名ブログで何を言おうが言われようが(法に触れなければ)そんなん気にするようなことじゃねーだろ、と思われるのはまさにその通りではあります。そもそも世間からの目を気にしてたら、働き盛りと言われる40代で早期退職しようなんて普通考えもしねぇだろ、と。

 

ただ、何だか、何だかですよ。ファッションFIREとでも言うべきでしょうか、何だかすごく「FIREが至上!労働はアホ!リーマンやってる奴はバカ!」みたいなのを見るとそれはちょっと違うんじゃねぇのと思うわけですよ、ワタクシ的に。

 

YouTubeのおススメ動画的なものに、やたらと過激にFIREを煽る動画ばっかり出るようになってしまって、最近は逆にこの単語に辟易するようになってきました。まぁ今までの私の趣向による動画クリックの結果、コイツはそういうのを求めてるんだろうと判断されたんだろうからそれは仕方がないんですが…。

 

しかし、私の今の生活だって誰かのアイデアからの産物や、それを実現するための労働の上に成立している部分が多いわけで。安寧に暮らせる環境、安く手に入れられる快適なサービスや便利な商品の数々、電気代と通信費とわずかな金額を払えば楽しめる種々の娯楽(動画ネット)、誰かが生産・運搬・管理してくれた流れの上で手に入れられる食糧等々…様々な方々の働きの上に成り立っているわけでして。

 

最近の「若年時に蓄財投資で一発当てて若年時から一生ぐーたらする!」みたいなのは私の個人的な感覚とはちょっとかけ離れているんですよねぇ。自分はそれが出来なかったから羨ましいとかそういうんではないですよ。

 

などと言いつつも私のやろうとしている事と前述の内容はそうは変わらないんですけど、でも気分的な違和感はあるんですよ。別にそれをしようとしている人を咎めるわけでも何でもないんですが、なんか某宗教のように「FIRE原理主義」みたいな感じで捉えるのとは私の感覚は違うというか。

 

ですので何だかアーリーリタイアを連呼していた自分が気恥ずかしくなってきた昨今、現状の雇われ仕事を脱したいという気持ちに変わりはないのですが、それを実行した暁には実家を拠点に「農業法人」か「何でも屋的法人」でも立ち上げようかと私は最近思っているので、思い立ったこの日にブログタイトルを変更し、今後も自身の考えをつらつらと書いていこうと思います。

 

しかし、冷静に考えたら私の考えってすごく昔からある「脱サラ志願者」ですね。「45歳での脱サラを目指す」とかのタイトルの方が自分に正直かもしれません。