45歳で雇われ脱却しました

2024年、45歳で雇われの身より足を洗いました

テレビゲームがしんどい

 

ファミコンが世に出たのが1983年だったと思いますが、私が小学2年生だった1985年の春、当時静岡に住んでいた親戚の叔父が我が家に遊びに来たときにファミコンを買ってきてくれました。それが私とテレビゲームの出会いで、初めて遊んだのは任天堂の「F1レース」でした(厳密に言えばそれまでにゲーム&ウオッチLCDゲームなどに触れてはいましたが)。

 

それから結局大学を卒業するまで、ハードは変われどテレビゲームと私の付き合いは変わることなく続きました。高校受験を迎えた中3の時にスーファミをやめられず、受験勉強の妨げになると懸念した親から禁止令を出されたりもしました。高校3年の時も息抜きと言ってはゲームをやったりして勉強への集中が続かず、結果一年間の浪人生活を送るハメになりました(さすがに浪人中はゲーム断ちしました)。

 

貧乏大学生だった時もプレステやサターンは何だかんだ言ってコスパのいい娯楽だったと思います。無いカネの中からソフト代を捻出し友人たちとIQやパラッパ、バイオハザード、バーチャ2やストZERO2などを休日やバイトの無い日にやっていました。

 

大学3年か4年の頃にPS2が出て、当時はゲームだけでなく「DVDが再生出来る」というのも強力なセールスポイントだったと思うのですが、親からの仕送りを受けず奨学金とバイト代で生活のすべてを賄っていた私にはPS2を購入する余力がありませんでした。

 

就職してからは、ハードを買う余力はあるんですけどゲームをやる時間がない、というよりはゲームに使う時間がもったいない(寝ていたい・せっかくの休みだから外出したいetc…)という感じになりどんどんテレビゲームから遠ざかっていきました。

 

結局私が最後に購入したゲームハードは「PS1」で止まってます。就職する前までは結構ゲーム雑誌を読んだりゲーセンに行ったりという感じでどっぷりゲームにハマっていたんですけれど、ハードがどんどん進化して画像が滑らかになり、昔考えていた「こんなことが出来るようになればいいのに」という願望、例えばポータブル化や離れた場所にいる人との対戦などが普通に出来るようになっていったのに、反比例するように熱はどんどん冷めていきました。

 

そして今、雇われ脱却を果たして実家に戻りました。実家には過去に私が多くの時間を共にしたゲームハードたち、ファミコンスーファミPCエンジンDuoセガサターン・PSの本体及びソフトがあったので、どうせ時間もあることだしと思い、ホコリをかぶった14型ブラウン管テレビも引っ張り出してきて久しぶりに起動させてみたら全て使用出来ました(ファミコンはRFスイッチの接続がちょっと不安定な感じでしたが・・・)。

 

で、当時クリアできなかったゲームを何本かやってみました(ファミコンドラゴンバスター高橋名人の冒険島PCエンジンのカトケン、サターンのワールドアドバンスド大戦略など)。

 

結論としては集中力が続かず、どのゲームも30分と続けていられませんでした・・・。

 

かつては寝る間も惜しんでやっていたテレビゲームですがあれから20年以上経た今、自分自身がいくらでも出来る時間を得たというのに全くやる気が続かないという悲しい状況になってしまっていました。

 

アクションゲームの場合、ミスるとそこで集中力が切れてしまうと言いますか「あーもういいわ」といった感じで一気にどうでもよくなる、といった感じですかね。

 

WA大戦略はまだそういう意味では続けることが出来るのですが、いかんせん内容が深すぎて考えるのが面倒に感じてしまうという・・・。

 

例外的に続けることが出来たのはファミコンの「テトリス2+ボンブリスでしたね。これだけは大丈夫で、今でもそこそこ昔のようにプレイ出来ました。

 

結構早期リタイアを果たしてテレビゲームに没頭している内容のYouTube動画やブログ記事などを目にすることがあるのですが単純にすげぇよなーと感心してしまいます。特に私と同年代かそれより年齢が上と思われる方。よく集中力続くよなーって感じで。

 

あとは現行ハードのPS5とかswitchとかの動画を見ると、画像は昔に比べてすごく綺麗だし滑らかに動いているのはわかるんだけど、見ているとワタクシ的にはものすごく目が疲れるんですよね。あとは単純に「感動が無い」って感じですかね。昔は画像のクオリティが上がるたびに「すげぇ!」って感じでクギ付けだったのに、今じゃ「ふーん・・・」って感じで。加齢により感性が鈍っているんでしょうね。

 

結果的に余暇時間の多くを使っているのは読書や散歩・運動、音楽鑑賞、他人とのおしゃべり、あとはネットサーフィンなどという感じで明らかに昔とは趣向が違ってきてます。結局私も歳を重ねるにしたがって先人が通ってきた道を歩むことになるんでしょうねぇ。