45歳で雇われ脱却しました

2024年、45歳で雇われの身より足を洗いました

年賀状、無くなりませんねぇ

 

おはようございます、こんにちは、こんばんは。

 

今住んでいるアパートの部屋からテレビを撤去して早いものでもう3か月くらいが経とうとしています。

 

例年ですとこの時期はそのテレビニュースなどで強制的に「年賀状」に関するニュースや広告を見る頻度が増えるのですが、今年はテレビを撤去したからなのかあまりそういう感がありません。

 

とは言いつつも、ニュースや記事の見出しなどでちょこっと目にはします。

 

で、この前の休みの日、詳細は書きませんけどコロナ禍で会社間の年賀状に関してはだいぶ淘汰が進んだ(表現が正しくないかもしれませんがそんなニュアンス)的な記事を見ました。

 

一方で、個人では逆に出す枚数が増えているとか。意味不明。コロナで会えないから年賀状を出す?本当意味わかんねぇなぁ。メールすればいいんじゃないのかな。相手が年配者なら電話すればよくね?まぁ各自の勝手なんでしょうが。

 

しかし、なんだかんだいって無くならないですねぇ、年賀状。まぁこれが「季節感を感じさせる日本ならではの良い風習」と捉えることも出来るんでしょうが、私自身いわゆる「伝統的行事」っていうのは別に嫌いじゃないんですけど、年賀状だけはどうしても拒否反応が出てしまいますねぇ。去年もこんなこと(↓) 書いてますし。

 

 

郵便制度が出来てからの風習でしょうから歴史としてはせいぜい約100年そこそこくらいなわけで、財務大臣が大株主だからって郵政を肥え太らせるための行事に参加する義理もないでしょう。むしろ国が庶民から金を巻き上げるために流行らせたツールなのでは?と勘ぐってしまいます。

 

だいたい私自身、年賀状を出したいと思う人もいない(そもそも存在意義に対して否定的)し、去年も書きましたけど挨拶を送るんならメール、今はLINEとかで充分だと思うんですよね。ただの挨拶状という名の印刷物を紙と人手を使って届けることに何の意味があるのかと。特別な手書きとか絵とかにそこまで拘るんだったら、画用紙に絵かいて写真撮ってデータ添付してメールで送ればいいんじゃない。極論としてこれも去年書きましたが、年賀状でしかやり取りをしない関係性なんて解消したって一緒でしょう。

 

世の中には私よりもやや上の年代だと、いまだに年賀状を仕事上の査定の物差しに使ったりする人が世の中には居るようで・・・本当にくだらねぇなぁと思いますね。こんなの別にメールでいいじゃん。配達業務が勤労学生のアルバイト代になるという側面はあるかもしれませんけど、別にアルバイトなら郵政じゃなくたって私の勤める小売業(特に食品関係)や物流関係ならいくらでも募集してると思いますし。っていうか今でも年賀状配達限定のアルバイトってあるんですかね?

 

そのうち年賀状は、「正月に車に付けていたお飾り」みたいになるんじゃないかなぁ。私の実家の父親も親戚も(いずれも70代)すでに去年か一昨年あたりに年賀状じまいしてましたし、いったいどんな層に需要があるのか未だによくわかりません。

 

令和の今ですらFAXとか現金払いが幅を利かせているような国民性ですから、変化はだいぶゆっくりと(しかしながら着実に)進んでいくのではないかとは思いますが、私が死ぬ頃には過去の遺物となるんでしょうかね。ただ、今の職場ではこのくだらん行事を強制されないのが救いではあります。年賀状に関して、私は今年も一切参加せずを貫きます。