45歳で雇われ脱却しました

2024年、45歳で雇われの身より足を洗いました

「知足」とアーリーリタイア

 

おつかれさまです。

 

私は「知足」という言葉が好きです。

 

就職して一番初めに入社したところをパワハラでやめた後、なんだか日本中を放浪したくなり、下道オンリー車の旅で国内を行脚、その中で京都にも立ち寄りました。その時に寺や神社などを見て回るとなぜか気持ちが落ち着きました。そんな中でかの有名な龍安寺に行ったとき、何かの知識(「ウルトラクイズ」等テレビのクイズ番組だったような気がする)で存在は知っていたのですが「吾唯足知」のつくばいを見ました。

 

この知足という言葉、大元をたどれば老子に行きつくのだとか。このつくばいを初めて見た時は「ふーん、これがあのつくばいか」くらいの感じだったのですが、最近では京都に行くとなぜかこれを見に行きたくなります。

 

老子の原文を読み込まずして好きだというのもおこがましいかも知れませんが、「足るを知る」…勝手な解釈ですが欲をかかず、気の持ちようで充分に幸せを感じられる、とでも言ったらいいのでしょうか。なんだか自分の言葉で文章にしようとするとうまく出てきませんが、とにかくそれを二文字で簡潔に表している、奥深い言葉だと思います。

 

30代の後半までは私も今の会社である意味「出世欲」にまみれていたような気がします。そのころから数年しかたっていませんが、今となって思えばなんであそこまで出世することに拘っていたんだろうと思います。

 

今までの自分の生活スタイルや、金銭の使い方を振り返って考えるに「仮に出世して給料が増えてそれなりの資産を手にしても、今まで散財した経験がないので使い方がわからず、かといって使うこともできず、結局それに手を付けないまま一人老いて死ぬ」というのが想像できてしまったんです。

 

それを考えたら、仕事はある意味シフトダウン、まぁ適当にマイペースでやっても現状の給料水準ですら年々資産は増えているわけで、雇われ仕事による拘束時間は「人生の有限な時間の無駄遣い」じゃないのかなどと思うようになってきた今、辞めても今持っている資産でおそらく20年以上も行けるのに、心を病んでまでガツガツ仕事の事だけ考えて生きることに何の意味があるのかと。

 

上を見たらキリがないわけで、追い続ける気力があるうちはいいのですけれど、「もういいんじゃないか」と思えるところで肩の力を抜いて過ごしてみると、意外と満足して生きていけてるんじゃね?って最近は思ったり。

 

なんだか自分で書いていても全然まとまりがないというのは自覚しているのですが、それくらい自分にとってこの言葉は「深いなぁ」と思うわけです。

 

なんだかお金の話にこだわってる側面しか書けてないような気がしますが、「足るを知る者は富む」この言葉はこれからも座右の銘として持ち続けたいものだと思っています。

 

アーリーリタイアを考える人、実行した人は多かれ少なかれこの「知足」の精神をお持ちなのではないかと思って書いたのですが、なんだかよくわからない話になってしまいました。もっと文章力構成力を上げたいなぁ。この点に関しては逆にもっと貪欲に追求したいものです。

 

この「知足」に関わる話は、また別エントリで書きたいと思っています。

 

それでは、また。