45歳で雇われ脱却しました

2024年、45歳で雇われの身より足を洗いました

そもそもアーリーリタイアって

 

おつかれさまです。

 

アーリーリタイアの定義というと、決まった型があるわけではないと考えます。当たり前ですけど。

 

とかく国内においては、「常識的」「一般的」といった定義付けがなされて、そこから遠からずの行動をとることが「外れのない生き方」と推奨されている空気があると思います。

 

ですからアーリーリタイアというと、常識的な事から外れた行動をとる、特に「退職」という点に特化してのことを言っているのだと私は解釈しています。

 

アーリーリタイアをしたい、という人の多くは、常識的な人・一般的な人なんだと言い換えることもできると思います。なぜならアーリーリタイアはそういった「常識」から「外れること」だからで、少なくともそういった定義は理解している人のはずです。そもそもこういった常識的、一般的でない人からすれば、アーリーリタイアなんていう定義付けは出てこないのではないかと思うのです。

 

アーリーリタイアしたい、といった思いをお持ちの方は世間からすれば少数派で、常識的ではない・一般的ではないといった目を向けられるかもしれません。

 

しかしながら、「アーリーリタイアする!・した!」と宣言できる人は、少なくともその定義を理解しているだけでも充分に常識的・一般的な人でしょう。たんに「少数派」なだけであって、常識がないなどと言われる筋合いはないでしょう。常識を理解したうえで、それとは違う道を行っているだけのこと。

 

そもそも「定年」が昔は55歳もしくは60歳が「常識」だったというのに、それが65歳を通り越して70歳になりつつある今、前提がコロコロ変わる「常識」に対してどうこういうのはお門違いだと思うわけです。このあたりに対する私の考えは、以前に以下のエントリで書いております。


 

 

私は親や身内から何か言われているわけではありませんし、先日父親にそれとなくアーリーリタイア話を振ったところ、「別にいいんじゃない」といった返答が返ってきました。私の場合はそういった意味でも特にハードルは低いです。

 

しかしながら、やはり家族のある人にとってはなかなか踏ん切りがつかないという話の方が多いでしょう。仮にそれなりの資産を持っていたとしても、特に成人前の子供さんがいる方などは「世間体」というしがらみから脱却するのは難しいのだろうなと思います。自分に関わりのある他人の目が多ければ多いほど、ハードルは高くなっていくんじゃないかと思います。

 

こればかりは本当に考えは人それぞれですし、強制するものでもないですし、一般的なものに巻かれて流されていったほうが自分で考えなくても良い分「楽」ですから多くの方は「一般的」とされる「定年」まで働くという答えを持つ人が多いのでしょう。

 

むしろ、アーリーリタイアを実行した人の方が確たる自分をもっているのではないかと思います。生き方の話ですから良い悪いの優劣をつけるものでもありませんが。

 

私はアーリーリタイアしたらチャレンジしてみたいことがいくつかありますので、このブログを書きながら思いを整理しつつ、少しずつ歩みを進めていきたいと思っています。

 

アーリーリタイアしたらチャレンジしてみたいことは、別のエントリーで書いていきたいと思います。

 

それでは、また。