45歳で雇われ脱却しました

2024年、45歳で雇われの身より足を洗いました

なぜ「仕事」という名目で簡単な事をわざわざ難しくするのか

 

おつかれさまです。

 

お仕事をされている、されていた方なら恐らく一つ二つは思い当たることがあると思いますが、雇われ仕事の中には「やらなくてもいいんじゃね?」と思われるタスクがあったりします。

 

もちろん業種や仕事の内容によってさまざまだとは思いますが、私なんぞ今の勤め先においてはそのような事が頻繁にあります。

 

 

で、思い切ってやめてみても、特に何の実害もないという。

 

おそらくはそのような業務が「出来た経緯」もあるんでしょうが、年月が経つにつれ技術の進歩や環境の変化で「やらなくてもいい」状態になっているのにもかかわらず、「慣例」という一言でそのまま続いているのだろう、と。

 

私の職場での例を出しますと、

①注文や連絡をFAXで送信する

②FAXが届いたかを相手に電話をかけたうえ、さらにそこで納期や内容を確認

 

こういったのが典型的な例で、この場合は「書面で残しておきたい」「証左が必要」などといった理由から現在も続けられているという。

こんなのは担当者同士がメールでやり取りすりゃいいじゃんと思うのですが。そうすればクリック1回で済むのに。

 

あとは、どうせロクに読んでもいないのに「上司の決裁/承認印が必要」とかね(私も承認印を押すことが多々ありますが、ルーチン業務のものなどはいつも無駄だと思っている)。まあこれは昔でいう「連判状」の名残か、連帯責任が形を変えたものなのかもしれませんが。

 

他の国ではどうなのかわかりませんが、国内においてはまだまだこういったムダ行為のおかげで、全体の生産性が下がって無意味に時間を浪費したり、上の処理遅れが下に波及して、その結果中間管理職や末端の不要な残業発生を招いたりしているのではないかと。

 

少なくとも私が今まで務めた4社(規模という意味では大小ありました)では、思い返すとすべてこれに該当する事案がありました。

 

あとはお役所の書面なんかでもそういった類のものをたまに目にしますね。「〇〇の届出内容を変更したことを確認するための書類」とかね。

 

もはや元が何だったのかよくわからない書類が大量にあったりして、しかもそれを結構長期間にわたって保管しなければならない、とか。PDFでは駄目らしく現物が必要で、そのためにわざわざファイルを買ったり置き場所を確保しなければならなかったり。で、結局保管期間を過ぎるまで一度も見返すことなく最終的にシュレッダーや業者に依頼して焼却廃棄したりとか。

 

これはもしかして「ムダに仕事を作成」することによって「GDPを押し上げる」ための政策なのか?などと考えてしまったことがあります。足りない私の頭で考えたこの推測は、意外と間違っていないかもしれない…。

 

社会人の多くが「仕事行きたくねー」とか「やりがいを微塵も感じない」とか思う根っこには、このような「やらなくてもいい事をわざわざ難しくして面倒にしているから」という事も遠因としてあるのではないかと思わずにはいられません。

 

私はもう現在の雇われ仕事に対して全く熱意はないので、逆に「いかに楽して同じ効果を出すのか」を追求して定時出勤定時帰りを貫き、「流動資産5000万・アーリーリタイア」を目指したいと思います。

 

それでは、また。